能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(雑録)「うちの近くに大学があって:文化資本の落差と格差」

 お久しぶりです。

 清々しいぐらいブログの執筆をお休みしました。ご存知のように3月19日から、基本的に台湾は外国からの入国を制限しました。商務(ビジネス)と就学(学習)用ビザ以外での入国が厳しく、またよしんば入国できたとしても二週間の隔離が絶対に必要、その費用は自己負担(10~20万円)となりました。私は就学ビザでの滞在ですので、一度台湾を離れても入国することは可能ですし、日本への入国はやはり二週間の自宅待機が求められるとはいえ可能です。とはいえ、そうすると往復で1ヶ月もの待機ということになり、また費用も膨大になり、必然的に帰国が難しくなりました。もう半年以上帰国というか出国をしておらず、ここ3年では最長のペース。おそらく、今年どころか来年すらろくに帰国でない状況になる可能性があり、どのへんで音を上げるだろうかという状況。というよりすでに音を上げつつあり、今後の人生設計などを考えねばと考えているところでさえあります。なにより家族や愛犬や友人に会えない(遊べない)というのがなにより辛いなと感じておる次第です。

 

 

大学進学は都市有利

 さて、私はあまり勤勉な性格ではないので、一度一つ所にとどまるとなかなか他の場所へ動くというのを好みません。とはいえ引っ越しだけは数多くしていまして、10回ぐらいはおそらくしています。3年に一回ですね。しかし、ここ20年ぐらいはほとんどずっと大学から徒歩15~20分以内という場所に住んでいました。

sasamatsu.hatenablog.jp

 

 この記事を読んでいて、文化資本の地域的な格差と家庭的要因を思い返したわけです。「文化資本」(文化資本、大学在学時は死ぬほど耳にしたのですが、最近ではずいぶん人口に膾炙した印象があります)の「濃淡」は、地域(どこで生まれるか)と家庭環境(どのような家庭に生まれるか)によって基本的に決定づけられてしまいます。

 最近も話題になりましたが、日本国内において、地域的な格差は決定的にありますし、その頂点に立つのが東京なわけです。図書館や博物館、映画館、書店、劇場は、都会のほうがたくさんあります。なのでまあ、そういった「文化資本」に触れる機会も多いんじゃないかと思うわけです(もっとも、この言い方は正確ではありません)*1。とはいえ、さらに違いになるのは、学校、とくに大学の所在ではないかという気がします。

 

 研究によれば、「一人当たり課税対象所得・知識集約型産業従事者率・人口密度は大学等進学率に有意に正の影響を与え、65 歳以上人口比率は有意に負の影響を与えていた」*2。つまり、所得の高低、ホワイトカラー従事率、人口密度が高いことはいずれも、大学進学率に影響を与えます。端的に言えば都市部では大学進学率が高く、地方では低い

*3都道府県で見ると、東京、京都、神奈川、兵庫、が高く、鳥取、鹿児島、長崎、沖縄が低い。東京都の大学進学率は平均で65%、渋谷区、文京区、千代田区は70%を超え、福生市青梅市羽村市、足立区、葛飾区は50%を切ります(町村部は除く)*4。それに対して沖縄県は平均で40%、うるまや豊見城は20%代です。

。都市ではホワイトカラー従事者が多く、それゆえに高所得者が多いのでこうした傾向があるように思いますが、単に大学の数が圧倒的に違うことも関係している気がします。大学数が多いのは、東京、大阪、愛知、北海道、兵庫*5、人口に対して学生数が多いのは、京都、東京、滋賀、大阪、愛知*6。北海道をのぞけばいずれも都市、都市近郊です。

 

子女の進学コスト

 簡単に言えば、家の近くに大学があれば、学費以外のコストがほとんどかかることなく、子供を進学させることができます。運良く国公立大学へ進学できれば、場合によっては予備校の学費より安い額で大学に進学させることもできます。しかし、家の近くに大学がなければ、下宿などの費用と生活費が1人分完全に必要で、その額は年額100万円を越える可能性があります。学費と合わせれば、年額150~200万円。よく言われることですが、日本は大学寮の提供数も少なく、奨学金も十分ではありません。家族が負担し得なければ、学生支援機構からローンを組むことになりますが、大学卒業時点で数百万の借金を負った状態からスタートすることに、本人も家族も踏み切れないところがあるように思います。

 日本全体での大学進学率は50%を超えましたが、都道府県、市町村によっての状況は大きく異なります。日本では特に、都市部にこうした高等教育機関のリソースが集中しているように思え、こうした状況はさらに都市と地方との格差、文化資本に決定的な差をつけているように思います。

 一方で、地方での高等教育機関、研究機関設置の試みは続いており、国際教養大学国際大学北陸先端科学技術大学院大学沖縄科学技術大学院大学などがその代表例になります。こうした傾向が続けばいいのですが、現実にはかなり難しそうです。

 

 

 実家の近くには大学があり、学生の下宿もありましたし、小学校では教員の子女が学年に1、2人いました。彼らは比較的文化資本に恵まれているので、地方の小学校では圧倒的な存在でした。医師や教員の子女もそうですが、地方の小学校では彼らが上述の2つの要因をもちあわせて存在することになります。彼らの親は、進学や学校行事に関する情報をよく知っていて、地方のとぼしい文化資本のなかでも、そこから「抜け出す」すべを子女に身につけさせようと試みていたような気がします。そうして、中・高校と、家族のリソースをベースとして、その後に向けたヒエラルキーが作られていく。

 一方で、経済資本や社会関係資本が十分ではない家庭であっても、子女に時間をさいて向き合う親や、子女がそれなりの才能を持って生まれてきた場合、親や家族はどのような選択が取れるでしょうか。学校がうまく機能していれば、学校は彼らにほかの世界へ続く道の所在を提供できるかもしれません。しかし……。

 教育現場の端っこにいて、経済資本、文化資本社会関係資本と階級、階層の関係を常に見せつけられているような気がします。

 

 次回は軽い話をします。

 

(2020/10/18追記)

 なんとオチを書き忘れました。

 私はうちの近くにあった大学には進学しませんでした。理系メインの大学で、人文社会科学を志望した私の需要と合致しなかったという話で、また市内にあった大学も私立大学だったので合致しませんでした。結果として私も越県進学をすることになりました。

 実家の周辺にあっても志望学部や偏差値との関係で進学しないことも多いと思いますが、選択肢がなく消極的にそこを選ぶ方も多いと思います。こうした状況を変えられないものかなと、ずっと考えています。

*1:しかし、人口比で見れば地方のほうが、人口1人あたりの図書館数は多い傾向にあります

http://totomoren.net/blog/wp-content/uploads/J-library-genkyo201410.pdf

古いデータですが、博物館の場合、面積別では当然都市部が優位になっています

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihondaigakukyouikugakkai/34/0/34_KJ00009618723/_pdf

数で言えば長野や北海道が例外的ですが、都市部が優位です

*2:https://www.nstac.go.jp/statcompe/doc/2019/2019U3-suri.pdf

*3:http://www.agi.or.jp/reports/report2016-08.pdf

このデータは県を超えて進学する学生の多さも示していますが、和歌山、佐賀、島根、鳥取とやはり地方に集中します。

*4:平成29年度学校基本統計(学校基本調査報告書)

*5:大学 都道府県別学校数(令和元年度) :ナレッジステーション

*6:http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/443637/00000420092039.pdf