能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(台湾日記)「オンラインオンラインオンライン」(2020年4月13日)

 今日は日記です。特に中身や要約すべきことはないです。

 

 星野源が、などと書くとアベガー批判になってしまう気がするのだが、ようは「うちで踊ろう」である。世界的なトレンドがStay Homeなわけで、日本もその例に漏れない。それでも出勤しなければならない人、ライフラインを支えなければならない人がいて、うちを出て働かなければならない人も沢山いる。日本では、あるいは世界では、「うちにいよう」と呼びかけるときも、「うちにいられない」人やそもそも行き場のない人への連帯や共感を表す「必要」ないし配慮が「必要」であって、単に高みから「うちにいよう」というのはおうおうにして逆なでになりやすいようである。みなストレスをためている中で、ふとしたことが燃え上がりやすい。

 

 この日記も台湾という場所からまた書いているので、場合によっては高みから書いている時が(心情が)あるかもしれない。不安を煽るでもなく、出羽守になるでもなく、外で何が起きているかを淡々とそれでもわかりやすく伝えられることは、実はとても難しく、また主観を排除した客観の姿勢で物を見るというのも、口でいうほどラクではないように思う。

 

 さて、外出の自粛が必要な中で、現代日本でなくてはならないツールとなったのが、各種のオンライン通話、オンラインミーティングのアプリ、プログラムである。老舗であるSkypeやMessenger、LINEなど私的な性格が強いものに対して、ZOOMやGoogle hangoutなどが会社などで主に使われているだろう。

 台湾ではほぼ通常通りの授業が行われているが、一部の大学ではオンラインによる講義が行われたことは以前書いたとおりである*1。一方で、日本の大学はすでにオンラインで講義を開始した大学や*2、5月の開学に延期し原則夏までの授業をオンラインで行う大学が多い*3

 私もこの間いくつかの大学、先生方のオンライン授業の練習に参加した。総じて、少人数であれば、大きな問題はないだろう。ただ、カメラに張り付いてしゃべる以上、普段の講義より緊張感が漂っている気もする。大人数講義では、基本的に一方通行にならざるを得ないし、全員の様子を確認することはできないだろうが、見られていることを最初は否応なく意識するかもしれない。

 

 さて、私は2年以上前から、愉快な仲間たちとオンライン中国語講座を開講してきた。「開講してきた」と偉そうにいったところで、ほとんどが雑談に終止しがちで、2年間におけるガクセイ諸兄の進歩を見るとはなはだその成果は怪しい。とはいえ、画面共有を使って文法や語彙の解説をしたり、ビデオを見ながら語文の確認をしたり、言ってみれば今時の先取りをしてきた。

 ほかにも「うちにいよう」という中で、飲み会もオンライン化し、逆に言えばいつでもどこでもできるという状況が生じている。つながっていたいという意欲は、災害や危機の中でこそ培われるように思うが、今がその時である。

 

 

 オンライン化は、ある意味では生活を二重化する。オフラインとオンラインの二様である。一方で、オンライン化は生活を収斂させもする。オフラインでの生活は、大半の人が出勤や登校というプロセスを経て、その場に応じた役割を演じる。オンライン化は、居室を事務所に、教室に変え、自らは常に居室にいるにも関わらず、その役割を自ら調整しなくてはならない。

 ほとんどの人々が、自分の機能を使い分けて生活している中で、オンライン化はその使い分けを曖昧にする。こうした使い分けの希薄化、曖昧化は、思わぬストレスを与える可能性もあるだろう。出勤、登校しないのは楽だし、今後もそれを期待する。とはいえ、自分の使い分けや切り分けをどのように折り合いをつけていくのかは、また難しい課題のようだ。

 

 私は単純に、日本の生活もオンラインで送るような形になるので、オフラインの台湾とオンラインの日本に生活が二重化しそうだ。今後もお手柔らかに。

 


f:id:noto92:20200414151345j:image

f:id:noto92:20200414151340j:image

とにもかくにもソーシャルディスタンス