能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(雑録)「共通言語としての『日本語』:そのほろ苦さ」

 日本人、台湾人、韓国人、中国人が出会って話をするとき、共通の言葉がときに「日本語」であったりします。そのことに感じる雑感とほろ苦さを書いています。

 

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大連(関東州)

 

 

 私の基本的な身分は台湾に留学する学生ですが、若干中国語(台湾では、國語guoyuといいます)を話す、聞くことができます。来台したときは、こうした点でも非常に大きな問題があったのですが、こちらの大学院の先輩、後輩、先生のお陰により、ひびゆっくりと進歩を感じています。

 こうしたなかで、私はよく先生や先輩から、日本語に関連する仕事(バイト)を依頼されることがあります。論文の翻訳(中日翻訳)や、中国語講演の日本語通訳、場合によっては日本人教員、学生に対するガイドなどです。

 台湾に留学する日本人学生はかなりたくさんいます。文科省の調査によると、海外留学をする日本人学生は約10万人、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリアの欧米圏と、中・韓・台が多いのですが、台湾は約5千人*1。さらに、在外日本人のうち、台湾在住日本人は約2万人います。すると、在台日本人の1/4が学生ですし、台湾の人口は約2,300万人ですから、台湾の0.1%が日本人となります。これは決して少ない数ではありませんが、学術的な日本語にそれなりに通じている人は少なく、私の稼ぎの足しに多いになるわけです。

 こうした所縁から、台湾・日本の学術的な交流の舞台に参加させていただく機会も多く、場合によっては通訳をつとめます。もちろん、台湾人で日本語ができる人も多いのですが、理想としては双方の言語ネイティブを配置して交流するほうが良いので、私にもお鉢が回ってきます。

 場合によっては、台湾・日本・韓国・中国の研究者が交流をする機会もあるのですが、そこで用いられる言語は、日本語であることが多いです。もちろん、私の研究領域は、日本関連に偏っているので、研究者は日本語文献を読む機会が非常に多く、台湾人中国人で韓国語ができる人、韓国人で中国語ができる人より、台湾人・韓国人・中国人で日本語ができる人のほうが比率的に多い。

 そのため、台湾・韓国・中国の研究者が、自分の領域以外の人、たとえば台湾人に韓国の状況を説明する際に、日本語を用いてコミュニケーションを取ることがあります。もちろん、英語である場合もあります。

 こうした際に、「帝国日本」の影が見え隠れするわけです。特に台湾や韓国の人々は、自国の歴史を振り返る時には、かならず「他者」である「日本」を経由する必要がある。台湾の場合は、さらに「中国」を経由する必要がある(現在の台湾における國語が、台湾語ではなく中国語であることからもこれは容易に理解できるでしょう)。

 こうした、自己のうちにある他者、自己を理解するには他者を経由する必要があることの難しさは、一貫して自己を見つめ、さらには他者へ目線を広げる日本とはまた違っている。そして彼ら、かつての「兄弟」が一同に見えるとき、かつての「偉大な父」であった、日本による同化教育の根源であった日本語を通じてコミュニケーションを取ること、これはいかなる意味があるのかと毎度考えさせられるのです。

 いまだに日本語が共通言語としての価値を持っているのは、もちろんこうした過去の歴史だけによるものではないのです。戦後の日本が、アジアの中で新たなリーダーとして生まれ変わり、自然・人文・社会科学の分野で新たに日本が価値を生み、多くの留学生が日本へ学びに来たこととも大きな関係があります。そうした意味では、将来的に、アジアの共通語が、中国語へと変容する可能性もまたあるわけですが、しかしながら日本語とは違う色彩を帯びる可能性はある。

 私は日本人、日本人の研究者(のはしくれ)として、こうした利益を享受できていることがときに心苦しくなります。彼ら(私の台湾人、中国人、韓国人の友人)は気にしませんが、「日本語」の利益が、日本語の歴史性を忘れてはいけないと私に警告します。

 今日はなかなかに辛気臭い話で、理解しにくい話ですが、聞き流していただければ幸いです。