能登屋備忘録

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(銀行家系図)「広島銀行の家系図を書く」

 前回掲載が2年前なんですが、私の手軽な趣味の一つに、「銀行の家系図を書く」というものがあります。何が楽しいんだ?と言われればとっても困るんですが、銀行の変遷の中に地域の歴史や推移を読み取ることが出来、ひとつひとつそれを拾い上げていく感じが面白いです。

 

notoya.hatenablog.com

 

 

①:「一県一行主義」に至る道

  ご存知のように、1930年代以降の戦時期には、昭和金融恐慌を受けて制定された銀行法に基づいて中小銀行の整理が進められました。さらに、1936年には廣田弘毅内閣の馬場鍈一大蔵大臣のもと、国債消化と規模の経済を目指すなかで、銀行資本力の拡大を目指して、「一県一行主義」が導入、1941年頃までには日本の銀行は1/10程度まで削減されることになりました*1

 一方で、1890年代には、日清戦争後の好況や、貯蓄銀行條例(1893年)の制定に基づき、小資本の銀行がつぎつぎに設立されていました。こうした銀行は、1923年の震災恐慌、1927年の金融恐慌により競争力のない小資本の銀行への不安が集まり、人々は大銀行に資金を預ける傾向が強まり、財閥への資金の集中につながったとも言われます。

 換言すれば、1890年代から1920年代の30年間は、日本でさまざまな銀行、中小の銀行が設立された時期であり、こうした銀行は今では考えられないような小都市にも設立されていました。家系図を書く面白みは、「こんなとこにも銀行があったのねえ」ということだと思います。

 

②:広島銀行のあゆみ

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広島銀行(ウェブサイトより)

 地方銀行は、一県一行主義による統合が強かったため、現在に至る歴史が複雑で家系図の書きがいがあります。なので、地方銀行都市銀行のなかでもマイナーな銀行の家系図が面白いということになります。

 今回は、特に理由はありませんが広島銀行を選びました。細かな歴史はウィキペディアを御覧ください。よくまとまっています。直接の源流としては、1878年尾道市で設立された第六十六国立銀行(1897年、第六十六銀行)と1879年に広島市で設立された第百四十六国立銀行(1897年、廣島銀行・旧)で、1920年に両者が合併、「芸備銀行」となったのち、1945年に県下の広島合同貯蓄銀行、三次銀行、呉銀行、備南銀行の四行と合併して「芸備銀行」(新、1945-50)になったのち、1950年に新生「廣島銀行」(1988年に広島銀行)として再登場したものとなっています。

 前回の神戸銀行と較べて、1920年にほぼ「芸備銀行」へ統合され、以降もこの芸備銀行への合併が進んでいたことから、家系図神戸銀行ほど複雑にはなっていません。地域的には広島市の一強となりやすかったのでしょうか。

 

 

ja.wikipedia.org

 

③:家系図は比較的シンプル

 クリックですべて原寸の表示ができます。

 おおむね1870年代に国立銀行として二行が誕生後、1890年代には各地で小資本の銀行(貯蓄銀行)の設立が相次ぎ、1920年に「芸備銀行」の誕生を迎える。

 その後、この芸備銀行が1930年代につぎつぎに銀行を合併、整理していき、1945年の全県合同を迎える。という流れになっています。

 面白いのは、芸備銀行が1930年代に合併した銀行には、対岸愛媛県の銀行も数多く含まれることです。その中には、資産を分割して伊予銀行の源流になるものも含まれています。また、広島銀行に合併された銀行には、のちに熊本県に移転、安田銀行へと合併された銀行となるものもあります。広島銀行は、「血統上」から見れば、伊予銀行みずほ銀行の遠い遠い親戚になるのです。

 

 

 

Hirogin

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