(近代建築探訪)「彰化銀行本店」(彰化銀行舊總部)
現在の台湾には非常に多くの銀行があります。台湾国内の普通銀行としては45行もあり、人口2300万を鑑みると「過多」とも言えるでしょう。その台湾諸銀行の源流とも言える銀行が、台湾商工銀行(現第一銀行)、華南銀行、そして彰化銀行です。いずれも日本統治時代の初期に台湾人の有力者によって設立されました。
今日は台中の近代建築からこの「彰化銀行本店」をご紹介します。
①:「彰化」銀行旧本店は「台中」にある
彰化というのは、台湾中部の地方都市ですが、現在の本店は台北市にあります。まあ人口のバランスを鑑みても仕方がない気はしますが、本店が台北市以外の銀行はほとんどありません。彰化銀行は設立こそ彰化でしたが、旧彰化庁が台中庁に合併されたのを契機として、1910年に本店を台湾中部の中心都市台中市へ移転しました。
彰化銀行は、1905年、土地調査事業によって地主権の整理(ややこしいのですが、日本統治以前の台湾における地主制度は複層的で複雑なものでしたが、これをおおむね地主/小作の単層に改められました)の際、総督府が旧地権者に支給した補償を利用し、呉汝祥、呉德功、楊吉臣らが中心となって設立されました*1。
以降、台湾中部を中心に発展し、1925年の金融恐慌後は資本金を縮小しながらも堅実な経営を進めましたが、主要な取締役に日本人を迎えるなど徐々に植民地下で台湾人の発言力は低下していきました*2。
②:戦後は「公営」化され、2001年に完全民営化
戦後、こうした銀行は中華民国政府に事実上「接収」され、商業銀行はほぼ公営化されました。彰化銀行もまた公営化され、「台湾省」の経営する銀行となりました。台湾において民営銀行が「解禁」されるのは1990年代以降のことで、彰化銀行は1998年に民営化、2001年には完全民営化を果たしました*3。
すなわち、彰化銀行は設立から100年以上を超える台湾では有数の歴史を持つ企業です。その本店もまた当時の台湾を代表するといっても良い新古典主義の銀行建築で、当時の様子を今に伝えています。
本店が台北へ移転されたことで、保存のリスクが減ったと見ることもできるかもしれません。
③:設計者は総督府技師
彰化銀行旧本店は1936年に起工、38年に竣工しました。設計は台湾総督府の技師であった白倉好夫と畠山喜三郎です*4。
白倉設計の他の建築物が残存しているかは調査中。畠山設計の他の建築物としては「台中信用組合」(現、三信商業銀行台中分行、1938年)があります。銀行建築だけを得意としたわけではなく、学校や病院なども建築していたようです*5。
④:堂々たる銀行建築
鉄筋コンクリート造。外面は擬石貼り。装飾は抑え気味でどちらかと言えばシンプルですが堂々たるもの。
今後は台湾銀行なども貼っていきますので比較してみてください。
<地点>
・台中市中區自由路二段38號