能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(台湾社会)「アフリカ豚コレラ:外国から肉を持ち込んではならない」

 最近台湾にお越しになった方は概ねお気づきになったでしょう。特に、フルサービスキャリアと呼ばれるお高めの航空機に乗ってぼんやり座席のモニタを眺めていた方々は強制的に台湾着陸前に1分程度のビデオを見せられたはずです。

 このビデオの言わんとする所は、「世界中でアフリカ豚コレラというやべー病気が流行っていて、それを防疫するため台湾に肉製品、特に豚肉製品を持ち込んではいけませんよ。無断で持ち込むと数万元~100万元の罰金が生じますよ」というものです。

 今日はこの「アフリカ豚コレラ(あふりかとんこれら)」の話をします。

 

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(雑録)「台湾ビール味比べ」

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さいきん、スーパーで「百周年復刻版」と称する台湾ビールを見かけた。小瓶一本129元と言う超強気な価格設定に戸惑いつつ味見をするため購入した。

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 1919年、日本人が設立した「高砂麦酒」から100年と言う。その工場は今もなおビールを製造している。
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 ラベルは確かに100年前の雰囲気。

 味は、オリジナルの台湾ビールより繊細でフルーティー。りんごのようなパイナップルのような、ホップの香りが鼻に抜ける。あくまで台湾ビールらしく軽やか。

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 オリジナルの軽やかさをさらにフルーティーに仕上が、苦味はほぼ感じない。

 

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 一方、最近とみに評価が高いのがこちら、18天。保存期間わずか18日と言われる生ビールで、味わいはコクと軽さを両立する。中瓶一本63元とオリジナルの1.5倍ながらその味わいは後を引く。微かな酸味がアクセント。

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 近年台湾ビール界はさまざまな新参を迎え競争へ向かいつつある。100年の老舗として、台湾ビールもまたさまざまな新機軸を打ち出さざるを得ない。

 今後は当ブログでも、味わいの広さが格段に広がった台湾ビール界の現状をご紹介していきたい。

(台湾ニュース)「台湾鉄道、観光列車用の新塗装が登場」

 相変わらず低速で申し訳ないです。

 香港情勢や台湾情勢も結構な変化が見られているので、書きたいところもありますが、時間的余裕がなく……。

 さて、今日は台湾鉄道の新しい観光列車用の車両が出場しました。

 写真はリンク先をご覧ください。黒をベースに、下半分が濃いめのオレンジで彩られています。従来台湾鉄道は美学的なセンスが皆無だったと評されていますが、新塗装は「なかなか日本的」でセンスを感じさせるものだそう。

 来年度にはまた新たな観光列車が登場するようです。

 

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(雑録)「故郷の味ノスタルジーと異教の味シンパシー」

 頻繁に帰っている、かつ、言うほど異国でもなんでもない台北に住んでいても、日本の味に飢えることはよくありまして、言葉と同じく「母の味」はやはり忘れ難くあるようです。

 私は常々言うのですが、「日本ほど魚が美味い国はない」。たとえその大半が外国産の輸入魚であっても、さまざまな魚をさまざまな調理法で食べられるのは日本の特権、近代の食卓が勝ち得た英知です。

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 台湾にも大戸屋やよい軒など日本の定食チェーンは進出しており、「多少」高いのに目を瞑れば日本の味に出会えます。

 しかして魚はまず輸入だと思うのですが、なぜか日本と味が違う気がするのです。大戸屋のほっけやサバは日本でも外国産だと思うのですが。南で食べるそれはどこか曖昧です。

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 台湾でも魚を食べますが、白身のあっさりした魚が多いように思います。

 吳郭魚,虱目魚、石斑魚が有名ですが、いずれも白身です。虱目魚はスープで、そのほかは揚げたり蒸したり。魚を蒸して食べるのは日本では見られず、それが辛めのソースや香味野菜とよく合います。

 土地土地にあった魚と(とはいえ台湾のこいつらは養殖魚で、吳郭魚など元は外来種だったりしますが)、その調理法もまたあるのだと魚を食べつつ思いを馳せます。

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(雑録)「空間と想像」

 最近また雑な記事が増えてきました。今週来週とやや低速進行です。

 さて、今月は日本へ帰った期間があったわけですが、大学ではなく実家へ入り浸っていたので、京都、大阪、神戸方面へ参りました。

 大阪駅へ出て驚いたのは、知識として知っていたけれども正面の阪神百貨店(右半分)がなくなって左半身になって営業を続けていること。いわゆる梅田1丁目1番地計画で、二期に分けての建て替え。周辺地区の阪急系ビルとの一帯再開発で、2021年の全面開業予定。今空いた空間には38階建ての百貨店・オフィスビルが建つ予定です*1

 今がその古い建物がなくなり、新しい建物の建設も進まぬ過渡期の段階。ポッカリとした空間が一等地の駅前にあることは、帰って摩天楼が天を衝くよりも耳目を集める気がします。もはや現代人には、都市空間は埋められるものとの常識が植え込まれていて、それに反する空間が却って印象に残るのか、はたまたつい最近までそこにあったものが無くなった違和感か。通い慣れた道脇の建物が急に無くなって喪失感を覚えるものの、無くなったものが何か思い出せない。そういった違和感なのか。

 都市の空間は、いろいろな想像をかき立てる気がします。期待の空間、想像の空間、来たるべきものが来るべき空間というべきでしょうか。

 都市の空間は、都市の特権という気さえします。

 

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