(中国旅行記)「ちんぶら重慶編」(3日目:みなてつロスバゲ事件)
<要約>
・みなてつロスバゲ事件
・タクシー運ちゃんと歴史問題を語る
・ダブルベッド
・火鍋
<行程>
3日目
・重慶市内観光
①:成都から高速鉄道で重慶へ
さて、この日は重慶に宿泊しますので、成都は観光せずほぼ「とんぼがえり」。高速鉄道で重慶へ参ります。中国では「北京」のように都市名だけの駅もありますが、「北京西」のように都市名+東西南北というような駅名もよく見られます。
前者はおおむね古くからあるターミナルですが、方角のつく駅はターミナルが手狭になり新たに開発された駅であることがおおい。そのため、中国のこうした駅はどこも国際空港のように巨大な駅であります。成都、重慶もこうした例に漏れず、ただただたじろぎます。
冒頭にE2タイプのCRH2の写真を貼りましたが、乗車したのはCRH3。ドイツのICE3タイプですね。
中国における高速鉄道の発達はめざましく、もはや日本よりはるかに発達しているといっても過言ではないでしょう。
車内はごく一般的な「新幹線」という感じです。乗務員は新幹線より多く、この列車では軽食を販売するブースもありました。1時間ちょっとで重慶北へ。
②:みなてつロスバゲ事件
さて、ここから昨日触れたみなてつの事件についておはなししましょう。疲れていたのか写真とか一切ないんですが……。
簡単に言いますと、ロスバゲしたので重慶空港まで取りに行ったということです。
みなてつは関西発だったので、北京経由武漢行きの中国国際航空で武漢までやって来ました。ところがみなてつが武漢まで到着して預け荷物を待っていたのですが来ません。問い合わせたところ、「北京で見つかった。明日武漢へ送る」とのこと。しかし、我々は当日中に武漢を離れ重慶へ向かうことになっていたのでみなてつは交渉して「重慶へ」送ってもらうことにしたのです。しかしながら、この配送に使った航空会社はどうも中国国際航空ではなく、四川航空でした。これが面倒のはじまり。
さて重慶に到着しまずはこのロスバゲを引き取ろうと私とみなてつは空港へ向かいます。面倒なことになった際には中国語での交渉が必要かもしれません。
重慶江北国際空港はかなり巨大な空港でターミナルが三つに分かれています。配送に使われる四川航空のターミナルは第二。というわけで第二ターミナルへ向かいます。モノレールと地下鉄が通じていて便利な空港ですが、駅からまた発着ロビーまでが遠く意識を失いかけました。中国はなんでも無駄にデカく歩くだけで一苦労です。
四川航空のカウンターにつき、「ロスバゲした荷物を引き取りに来たで」というものの「没有」と言われます。んなアホなもっとよう探せ、という先ほど懸念した面倒な事態がいきなり発生します。「ここにかけろ」という雰囲気で書いてあった電番にかけますが、要領を得ません。カウンターの姉ちゃんがいろいろ電話してくれますがどうもダメなようです。マジのロスバゲか……。
とここで、こうなった責任は中国国際航空にあることを思い出します。習近平国家主席をお運びする大中国のフラッグキャリア。鄧小平氏の墨跡鮮やかに記される中国国際航空。かつて我々を救った中国国際航空。ひとつ吊し上げるしかありません。しかし、ターミナルは第3。気の遠くなるような距離を走る地下鉄に乗り込み「中国国際航空のバカタレ」などと悪口を言いこれまたクソデカい第3ターミナルを歩き中国国際航空のカウンターにたどり着きます。
これこれこういうことでこないなってんねんけどどないなったんねんオタクと喧嘩腰で話をします。中国では人と交渉する際には引いてはいけません。
ほどなくして「ありました。第二ターミナルの到着ロビーで受け取ってください」と言われました。また第二ターミナルに戻らなければいけません……。気の遠くなるような距離をふたたび走るターミナル間連絡バスに乗り込み、ふたたび第二へ。
到着ロビーは当たり前ですが侵入できないので、入り口に立っていた警察官に事情を説明して取ってきてもらいます。これだけでゆうに一時間以上の時間を費やしました。
さすがに疲れたしここから市内まで公共交通を使って移動すると結構な時間になるのでホテルまでタクシーに乗ることに。
③:「なあ日本では歴史教育はやるのか?」
タクシーでは四川話のなまりがある運転手と長々喋りました。運転手は割に機嫌よく重慶の観光案内をしてくれます。いわく、重慶は中国最大の直轄市だとか、火鍋や麺が有名だぞとかそういう感じで。
ところで運転手が「お前たちはどっから来たんだ?」と聞きます。私は日本から来たと言いますと、「日本では歴史教育はちゃんとやるのか?」と言います。(あっ地雷踏んだ)と私が固まるところで運転手は言葉をつなぎます。「重慶は戦争の時、日本軍の空襲に遭ったんだ」。私は「日本でも歴史はもちろん教える。重慶のことも知っている。ただ、ちゃんと知っている日本人はあまりいないかもしれないし、あなたたちが知っている歴史とも違うかもしれない」と答えます。運転手はそこから特に話を広げることも日本や日本人を非難することもなく、また淡々と重慶の観光案内に戻って行きました。
ホテルにようやくつきました。かれこれ夜7時になっていましたが、ここでまた一悶着です。ホテルは東村氏が手配したケンピンスキーホテル重慶。中国と同じく五つの星が輝きます。フロントで喋っていたら肩を叩かれ振り向くとさきほどのタクシーの運転手がいます。いわく「車内に携帯を忘れていたので持ってきたよ」。なんとありがたい人情でしょう。いろいろ言われることも多い中国ですが、誠実に接してくれる中国人もまたたくさんいることをこのたびで嫌というほど知りました。
④:We are all men.
さて、三部屋の予定でしたが、私たちが部屋に入ると大きなひとつしかないベッドが我々を暖かく迎えます。脱力するわたし。フロントで「我們都是男生」(we are all men)と抗議をします。フロント嬢「確認を致しましたところ予約の際にお一部屋ダブルになってございます。ですが、ご変更いたします」(あとで聞いたら東村氏が予約の際に誤ったそうです。黙ってんなよな)。やれやれ今日は朝からえれえめにあった。
⑤:夜の重慶は魔境
さて、夜の重慶を堪能しましょう。重慶も天気がクソ悪い街として知られていて一年で晴れる日が2割もないとか。夜であればサイケデリック、あるいは社会主義サイバーパンクとも言われる重慶を堪能できます。
まずはモノレールの李子坝駅へ。「大将軍」駅のようにモノレールがビルにブッ刺さっている特徴的な駅で、もはや観光名所になっています。中国人観光客もたくさんおり、周囲も綺麗に整備されています。ここには私が中国で出会った最高の公衆トイレがありました。鬼のように綺麗。
お次は「洪崖洞」へ。嘉陵江の河岸は段丘になっているのですが、その崖にへばりつくように建物がたっており、さながら「千と千尋の神隠し」のようになっていると観光客に人気があります。
全体的に観光客が大変多く、動くのも一苦労。ここのお店はほとんどが火鍋の店でした。中国の観光産業もどんどん洗練されていっているのかもしれませんね。
人混みを嫌い解放碑あたりまで移動してやはり火鍋へ。この前ついにGrand Tourでジェレミー、メイ、ハモンドの3人が訪れてやはり火鍋を食べていましたね。うまかったんですが、ケツは翌日死に絶えました。その話はまた次回。