能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(雑録)「肥大した自意識と:台湾でスーツをつくる」

 今回はエッセイなので「だである」調で書きます。

 

 

 以前の記事で、「散髪ってなんかもやっとするよね」という記事を書いた。

 

 

notoya.hatenablog.com

 

 そういうことを思う人はいるようで、友だちにもそういう人が多いことを知った。

 さて、今日もまた理容室の椅子に座ってよもやま思いを巡らしていたのである。もともと今日は「台湾でスーツをつくる」という記事を書くつもりだった。それに絡めて一本また書けそうに思ったので書くことにする。平凡な日常を送る私にとって、ここのところ毎日駄文を書き重ねているとネタにも困ってくるのである。

 

 みなさん、「オーダーメイドでスーツをつくる」という経験はおありだろうか。私はある。しかし、初体験が台湾台北だったので、これが日本の一般的なテイラーメイドと同じなのか分からない。読者の中に日本との異同を気付かれた方はご一報願いたい。

 私は20年ぐらい、学籍をずっと有している。小中高大と来て、大学院に入ってしまったがためにずーっと学校にいるわけである。こうした身分は基本的なスーツというのを着ない。若手漫才コンビとか塾講師とかであれば着るのだろうが、私の職場にはそういううるさい規則はない。ために、スーツを定期的に着る機会は無い。が、入学式卒業式なんたらかんたらでなくは無いので、紳士服のなんたらで一着いいとこ2万円のスーツは何着か買った。

 

 あと、私のスーツストックには祖父のスーツがある。私より六十上の祖父はしばしばオーダーでスーツを作り、家計を死に至らしめたらしい(祖母いわく)。その祖父はさすがに出社しなくなってしばらく経つので、その中でも30ぐらいの男が着てもまあまあまあまあセーフなやつを貰い受けてきた。私がじじ臭いスーツを着ていたらそれは多分本当にじじ臭いやつだ。

 そういうわけで、個人的にはあまり親しみはなかったスーツだが、こっち(台北)で学会に出ることになり、友だちに「スーツ持ってきてないや」と言ったところ「なら作ろうぜ」ということになった。

 私はよく分からんかったので「いいよ」と言った(悪い癖だと思う)。いわく、オーダーでスーツをつくるには、採寸、確認、受取と三度店に行く必要があるそう。彼はこれまで何度かオーダーしたことがあるらしく、手慣れたものだった。

 私は彼と共に、テイラーへ行った。驚くことに、スーツの生地から選ぶ。何百種の布が綴じられたファイルをひっくり返しあれこれ生地を探す。

 

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 生地が決まれば採寸。鏡の前にたち、メジャーを持った職人が各部の数字を読み上げていく。

 改めて鏡の前に立つとまこと不様としか言いようのない不格好さであり、それを見続けることになる。

 それから各部の体裁を決めていく。ボタンの数、襟の形状や大きさ、シングルダブル、背中のベントの有無(中国語で何というか聞き取れなかったが、そもそも日本語で何というのかも分からない。オシャレ4級である)。つど友人と私、職人が話し合って決めていく。何を言ってるか分からないことも多く、友人には感謝するほかない。

 30分ほどあれこれと話し合って店を出た。

 

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 翌週に一度試着へ行き、また鏡の前に立つ。仮縫いしたであろう生地を切るもののサイズが微妙に気に入らないらしく、職人が小首を傾げてハサミで仮糸をたっていく。その様は爽快であるが、私は鏡を見つめて対話を強いられた形になる。

 

 試着はあっと言う間に終わり、仕上がりは再来週ということになった。仕上がったものを今週引き取ってきた。三度鏡の前にたち、理想と現実との2万マイルを噛みしめつつ痩せようという思いを新たにした。

 スーツの総額は日本円で約五万円。これが安いのか高いのかは私には率直に言って判断がつかない。安いと思われる方は台湾へ。お手伝いします。

 紳士服のなんたらで吊るしを買うのの2倍ほどするが、なんとなく気分はいい。金を使うのはいつだって爽快だ。馬子にも衣装、豚にスーツという言葉が頭をちらつくが、それは見た人に判断を任せよう。

 

 

 ここまでを理髪店で、眼鏡を着けない焦点の合わないボヤけた自分と対面しながら反芻した。理髪店もやはり、つねに自分との対話が求められる空間ではあるが、幸いなことに脱眼鏡の私にはあまり効果はない。

 

 自分が不恰好であることに向き合うのは辛いような気がするが、はっきり言って他人はそこまで他人の顔面に興味はないだろう。注目される立場になれば顔を見て判断されることも多かろうが、日常ではそこまで大きな影響は与えない気はする。

 要するに、自意識過剰だ。

 理髪店の鏡のなかで、膨れ上がった自分の自意識と対話をすることになった。

 

 だから理髪店は嫌いだ。

 と言って、髪を切って髭をあたってマッサージを受けるのは、無上の喜びなんだよなあ。

 滅せよ自意識