能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(台湾政治外交)「謝長廷台湾駐日代表、即位礼参加の件について見解を発表」(日本語翻訳付)

 先日の台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表が「即位の礼」に参加したことについて、台湾でもいろいろな憶測を生んでいますが、これについて謝長廷氏自らFB上で見解を発表しました。

 拙訳を付しますのでご参考まで。

 要点としては、前半では日本とは正式な国家関係が無いために、「公式な」招待はなかったこと、にもかかわらず台湾代表として参加し得たことについて理解を求め、中間部分は、こうした非公式な関係が台湾の現状維持に不可欠であることを説き、後半部分では、主に国民党の外交政策の失敗とその失敗に無責任な彼らへの批判という構成になっています。

 日本でもこの件に関して報道が少ないので、関心を持たれている方も多いので参考になれば幸いです。

 

 <10月23日記事>

notoya.hatenablog.com

 

 (邦訳、拙訳:禁無断転載

 メディアの友人が「我が駐日代表が天皇の即位礼に参加することをなぜ先に発表しなかったのですか?参加後もなぜ写真がないのですか?報道も詳細を知らないのですか?」と不満を述べていました。この点につき、メディアに対して申し訳なかったと思っています。
 日本と我が国の間には、公式の国家外交関係がありません。考えても見てください、私が高らかに「出席する」と表明すれば、中国はかならず日本政府に抗議するでしょう。中国のメディアが福岡の祝電のときと同じく質問すれば、日本の答えはかならず「日本政府は台湾の駐日代表に招待状を送ったという事実はない。台湾との民間交流を維持するという立場に変わりはない」となるでしょう。こうなれば、国内の一部の人々は「日本に泥を塗られた」とか「参加は嘘だ」「面子を汚され恥をかいた」などとがなりたてるでしょう。
 現在、日台間の交流は民間組織という形式で進められており、日本政府が直接代表処に招待状を送ってはいないというのは事実です。しかし、私が参加したというのもまた事実です。これこそが日台関係の微妙な現状です。ある人はこのような目立たない形は悔しいであるとか、また両岸が統一され台湾が中国の一部になれば、このような無念な、隠されたような状態は無くなるという人もいます。こうした言い方は、おそらく間違いではないでしょう。しかし、これは台湾の人々が選択する問題であり、台湾の人民は中国との統一、100数十国との国交を結び、大国の国民になる道を選ぶこともできます。そうすればこのようにコソコソともせず、曲折することもなくなるでしょう
 しかし、台湾の人々は一国二制度を受け入れず、むしろ自由と民主的な生活を選択しました。台湾は15カ国とした外交関係を結んでいませんが、台湾のパスポートはビザ無しでも120カ国へ入出国でき、恐怖ではなく尊重されています。国民所得は2万5千米ドルで、中国の2.5倍、健康保険の普及率は99.8%に達し、平均寿命は中国よりも5歳長い81歳です。総統は人々が選挙で直接選び、人権・自由が保証されています。これらはすべて台湾を選んだ誇りです。
 台湾の人々のこのような選択を、政府は責任をもって全力で台湾の民主的な現状を保護し、中国の全面的な圧力と併呑の脅威のもと、アメリカや日本との関係が我々にとって特に重要であり、全力で友好関係を推進することこそ台湾全体の利益に適うのです。しかし、正式な国交関係がない状況では、中国はいつでも抗議をすることができ、我々には立場がなく損をします。すべてただ静かに処理し、実績あるめでたいことも言うことができず、できなかったことはすぐに拡散されます。これはすべて国民が統一を受け入れないという意思を貫徹するためにかならず生じる代償です。外交関係者は、不当に思う必要はありません。私は少なくとも、香港のように一度統一されてしまえば、我々の子孫はより大きな代償を仕払わねばならないことを知っています。
 しかし、少なくない国民が皮肉やあてつけを言い、そのなかには外交上の先輩を自称する人間による屈辱もあります。私には彼らの立場がわかりません。彼らが在職していた頃、国交関係がない国も正式に外交上の文書をやり取りし、政府代表が官公庁を訪れることができたのでしょうか?日本の外交がこのように難しいものとなったのは、おもに1972年の日本との断交時、政府が判断を誤り、進退窮まり、大使館が手をこまねいて長崎の華僑学校、孔子廟、京都の学生寮(筆者注:光華寮のこと)を占拠、あるいは奪われるということになり、我々も台湾関係法のような基本的な補償さえなく、国家財産も隠匿され、党の、あるいは個人の名義となり、亜東関係協会の名義で日本との交流、外交人員の待遇も聞くに堪えないものとなり、地方政府の交流さえもすべて禁じられ、現在の我々はすべてこの誤った政策の結果を受け入れ、過去を清算や糾弾を望まず、少しずつ改善に向けた努力を重ねつつあります。しかし、過去こうした悪因を作り出した関係組織と個人は、皮肉を言ったり辱めを与えたりする必要はなく、日台関係の良好な突破点を見ると、抗議をし、衰えたであるとか自虐を述べたりしています。これは、中共とどう違うのでしょうか。

 

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謝長廷氏(ウィキメディア・コモンズより)