能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

(日本旅行記)「龍野逍遥」

 今日はちょっと古い話を。

 私の生まれは姫路というところですが、うちからほど近い隣町が龍野市です。醤油とそうめんの街で知られる人口7万5千の街です。中心市街地がよく保存されており、「小京都」とも呼ばれます。

 あまり観光地として有名ではないので、訪れる人もたくさんいるわけでは有りませんが、ちょっと雰囲気のいい街並みが広がっています。

  

 龍野は江戸時代をほぼ通じて脇坂氏龍野藩5万3千石の城下町で、もともとは姫路藩支藩でしたが、姫路藩が酒井氏を藩主家に迎えるまで不安定な状態が続いたのに対して1670年代以降はかなり安定した状態が続きました。

 大豆、小麦の生産が盛んで、赤穂の塩が得られやすいことから、天正年間から醤油の製造が始まったと言われています*1山陽鉄道は1890年に竜野駅まで開業しましたが、同鉄道の「竜野駅」は、当時の龍野町ではなく、揖西郡(揖保郡)神部村にあり、同村が戦後揖保川町となってからも平成の大合併まで竜野駅は龍野にない状態が続きました。

 龍野は揖保郡の中心であり、醤油などの特産物を輸送するには不十分な状態が続きました。

 その後、この山陽鉄道に接続するため、新宮と網干港を結ぶ「播電鉄道」が敷設され、1909年に龍野町山陽鉄道が接続されることになりました。この鉄道は1435mm、電化と当時としては異例の電気鉄道でしたが、1934年に姫津線(のちの姫新線)の開業に伴い経営悪化が予想されたことから、政府補償のもとで廃止となりました*2

 このほか、龍野の特産としては、播州手延素麺がありますが、これも江戸時代からすでに規格化がなされ、明治期には組合が結成され、1906年には「揖保乃糸」の商標のもと全国へ売り出されました。「揖保乃糸」は組合に加盟する事業者が共通して使用する商標となっています*3

 龍野はこのように、古くから産業が盛んな地域であり、その名残を市街地にとどめています。市街地は狭く、歩いて回りやすいところも便利です。

 

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龍野逍遥

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