能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

日記(12月22日、街歩き)

 台北は日本帝国によって骨格が形成されたため、いまでも多くの日本時代の建築が残る。総統府(旧台湾総督府)や台湾大学(旧台北帝国大学)はその代表的な遺構で、ほぼ当時の機能を今に引き継いでいる。近年、台湾ではこうした日本時代も含めた古建築、古蹟があいついで保存・修復されている*1。こうした建築は台北だけでもかなりの数に上り、また国や市によって特別に保護指定を受けていない建築も数多く残されている*2

 これらのうち、12月22日は青田街*3にある旧台北帝国大学の官舎をいくつか見てきた。

 

 書き方が良くないのでは有るが、以下の写真は一軒のものではなくいくつかの建屋である。1枚めと2枚め、3枚目、4枚目がそれぞれ別の建屋である。

 官舎とはいえ、大学教授が住むことを想定していたためか、いくぶん広めである。建築の様式の指定もあったようだ*4

 

 帝大が1928年の設立であるから、これらの建築は少なくとも1930年(昭和5年)前後以降の建築になるだろう。日本の伝統的な家屋と比較しても、窓が大きく開放的な印象がある。天井も当時としてはやや高めだったようにも感じられる。

 いくつかは博物館のような、カフェのような、アトリエのような、そういった感じで活用されているほか、戦後日本人が退去したのちに流入してきた中華民国政府に帯同して台湾にやってきた外省人と呼ばれる人々の住居となったようである。いくつかの官舎は彼らの旧居として保存されている。これも「ポストコロニアリズム」と言いうるのだろうか。歴史の発掘と再整理が今も行われている。

 今回は細かな歴史的な経緯や状況については述べず、記録として記しておくに留める。

 

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日式建築(内部)

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日式建築(角)

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日式建築(背面)

 

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ルールがあったらしく、二階建ての建屋はほとんどない

 

*1:古蹟はおおむね国・直轄市・県市の三つのレベルに分類される:臺灣觀光資訊網兒童網-旅行臺灣-古蹟

*2:臺北市文化資產 - 维基百科,自由的百科全书

*3:師範大学(かつての台北高校)の付近、日本時代は「昭和町」と言ったらしい

*4:「日治時期臺北地區日本人的物質生活 - 國立臺灣圖書館」:https://www.ntl.edu.tw/public/ntl/4216/%E7%8E%8B%E6%85%A7%E7%91%9C%E5%85%A8%E6%96%87.pdf
「日本統治時期における昭和町の形成過程と日本人居住者による居住状況
台湾の日式住宅における居住空間の変容過程に関する研究 その2」:https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/74/640/74_640_1297/_article/-char/ja/
「日本統治時期以降における台北市青田街の日式住宅の使用状況と増改築に関する考察」:https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/73/628/73_628_1189/_article/-char/ja/