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能登屋備忘録

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

大連と欧羅巴と日本と。

建築 近代建築紀行 旅行

「「大連へ行くと欧羅巴へ行つた気がする」とは、欧羅巴へ行つた経験の無い人のよく云ふ言葉だと想はれる。その比較には欧羅巴が顰蹙するであらう。ホテルの前の広場を中心にして放射形に伸びた市街は、流石に後藤伯の総裁時代に出来た大規模の設計として感歎に値する。若し是れが欧洲であつたら、どこと無く芸術的な匂ひが漂はずには居ないであらう。噂に聞いて期待してゐただけ、広場の装飾の貧弱さよ。石の彫像一つ見当らないのはどう云ふものかと、自分は先づ眞山君に一問を呈するのであつた。併し我我は大連へ著いて顔も洗はない先に、もう既に不満を感じてゐるのではない。反対に埠頭からホテルまでの大連の第一印象は、何となくゆつたりとして心の落ちつくのを感じた」与謝野寛『満蒙遊記』

 

今日の内容:中山広場の建築を見よう

①:中山広場にて

 「大連経験」をもつ戦前の文人は数多く居ます。前回あげた夏目漱石もそうだし、今回の与謝野寛(鉄幹、与謝野晶子満州を訪問)もそう。正岡子規田山花袋岸田國士中原中也…数々の文人満州を訪れています。当時、日本人にとって大連は満州への玄関口であり、朝鮮や台湾とも上海とも違う、中国でありながら中国とは異なる異国情緒をもった都市として存在したのでしょう。先に上げた与謝野寛の指摘は的を射たものだったのでしょう。私たちが訪問した現在においても、大陸的であり、のびのびとした空間がどこか狭苦しい日本人にとって羨ましく思えるものでした。

 さて、大連の異国情緒を高めているものは、建築と言えるでしょう。前回、大連はロシア・日本・中国という3つの時代が重なり合った街だと言いました。この大連の重層がよく見渡せるものが、建築です。前回はロシアをちらりと紹介しましたので、今日は日本、二回に分けて「中山広場」の建築を見ていきます。

 日本時代は「大広場」と呼ばれた現在の中山広場の地図をしめしました。上の図が日本時代、下の図が現在です。だいたい対応するような位置関係になっており、①から⑨まで番号を振っています。この番号に建っているビルが下表です。

 

図1:中山広場新旧図

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 表1:中山広場建築一覧

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 で、すべてではないのですが、この中山広場に建っている建築をお見せしていこうというのが本日の趣旨です。こうしてみると、建った時期に微妙な差がありますね。とくに、東洋拓殖の大連支店は随分新しいようです。

 

②:①、朝鮮銀行大連支店

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 わかりづらいタイトルですみません。そして、肝心の前景が木に隠れてしまっていますが。朝鮮銀行は日本時代朝鮮の中央銀行発券銀行でした。日本の大陸進出に伴い、大連にも。いかにも銀行という様式ですね。設計者の中村與資平は朝鮮、満州にも事務所を構えていました。ほかの代表作は静岡県庁舎、静岡市役所庁舎など。

 

③:②、大連民政署(警察署)

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 1929年の『満州写真帖』から取ってきました(著作権切れてるから許して)。煉瓦の壁に時計台のついた建築はかつて大連民政署だった建築で、のちに警察署となりました。設計者の前田松韻は1908年当時、大連軍政省の技師だったようです。周囲の建物と雰囲気が違うので、ちょっと独特ですがドイツの市役所を参考にしたとか。

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④:③、英国領事館

 写真なし。というより、現在は建て替わってしまって上海浦東発展銀行になってます。中山広場のぐるりは基本的に銀行になっています。

 

⑤:④、ヤマトホテル

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 ヤマトホテルは南満州鉄道が経営するホテルで、ほかに新京、長春、旅順、星が浦にありました。大連は旗艦店のような扱いで、先程あげたような著名人はほとんどがこの大連ヤマトホテルに宿泊しています。ここは「大連賓館」となっていて、現在も宿泊できます。同行した東村氏は一日帰国を遅くし、こちらに宿泊していました。少し部屋を見せていただきましたが、古ぼけた普通のビジネスホテルといった感じでやや拍子抜け。設計者は満鉄の太田毅とされていますが、竣工前になくなっており*1、吉田宗太郎も設計に加わっていたとされています。

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⑥:⑤、大連市役所

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 設計者の松室重光は関東都督府の技師だったようで、この地域の建築物の設計を一手に引き受けていたようです。大連市役所はちょっと奇妙な建築で、上の写真だとわかりにくいのですが、下の写真だと入り口に「破風」があるのが見て取れます。和風のテイストが随所に取り入れられている建築です。いわゆる「帝冠様式」にあげられていることもありますが、竣工が1919年と帝冠様式よりもずいぶん早いのも特色。時代の最先端だったのかもしれません。

 

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 とりあえず今日はこんなところで。全体的にパッとしない写真が多くてすみません…。それでは。

 

 

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