能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

『ナイン』

 大連旅行記は今日はおやすみ。毎日2千字も書いてたら一月で論文が上がってしまうもんで。

 

 

 引越をすべく書架をいろいろとかき回し、ダンボールへ詰め込む作業をはじめました。そうすると、おやこんなところにあったのかいという感じでいつのまにかペラペラとページをめくっている。ふと気がつくと小一時間が過ぎ、「ハテ自分は何をしに来たのだったか」と迷子になったような、そういう感覚になったりする。別に掃除の途中じゃなくとも、調べ物をしたり、書類の整理をしたりしているうちに、横道にそれてしまってもと来た道が分からなくなったりする。そういうようなことがままあります。

 でまあ、うちの書架は厚みがあるもんで、文庫は二段にしておさめているのですが、そうすると後ろにあった本がなんだったかわからなくなる。引越のため「前」の本をハコに詰めていくと、「後ろ」の本が久々に日の目を見てこちらに笑いかけてくる。ほうら面白い本だぞ。手にとって見なさいなと。仕方がないのでご相伴をする。今日は『ナイン』(井上ひさし講談社、1990年)。

 『ナイン』は短編集で、『ナイン』のほかに16本の作品が入っている。『ナイン』(あと『握手』)は高校の教科書にも入っているので、読んだことがある方も多いのではないでしょうか。いまさら『ナイン』の解説をしようとは思わないのですが、内容はこんなもんでした。

 かつて少年野球のキャプテンをつとめていた正太郎が大人になってかつてのチームメイトにいろいろな悪事をはたらくのだけれど、チームメイトは「正ちゃんのおかげ」といって彼をかばう。語り手に話しかける畳屋の息子英夫は正太郎に85万円分の畳を騙し取られるが、そのおかげで身を入れて仕事をするようになったと。なぜそんなに正太郎を信じられるのか?エースだった英夫が夏の炎天下の野球場、日陰もないベンチでぐったりしていると、正太郎が英夫の前に立って日陰を作ってくれた。

 「自分たちは日蔭なぞあり得ないところに、ちゃんと日蔭をつくったんだぞ。このナインにはできないことはなにもないんだ。そんな気持ちでいっぱいでした。その気持はいまでもどこかに残っていると思います。だから…」

 

 この作品の舞台は四谷の新道というところでした。舞台は80年代ぐらいで、もう当時から「ナイン」が活躍した66年とは違う雰囲気が迫っていたことを伺わせる描写があります。私はこの作品を読んでから、「四谷」という場所に妙な愛着を持つようになりました。

 高校3年の冬、私は「四谷」に行きました。あそこに大きな大学があって、受験へ行ったのです。それでまあ、長年の憧れであった四谷の新道を覗いてみました。いまはどうも、ほとんどが飲み屋や料理店になっているようでした。その中の古そうな店で夕食をとって帰りました。作品の舞台となって20年以上が過ぎ、あれからまた新道が大きく変わったのだろうなという気持ちと、あんまり変わってない部分もあるのだろうなという相反する気持ちがどこか渦巻いたような気がしました。

 

 井上ひさしはどうにもうまい作家だなと今でも思います。とはいえ、彼がひどいDV男であったことも著名なわけでして。どうにも、人間が書くものが、かならずしも完璧に人間を写すものではないし、逆に自分が持たぬ人間を描くことができる作家というものの凄みをも感じます。どうにも身の回りのことだけを素材にしていると先細りになるなあと。