能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

備忘録:『心が叫びたがってるんだ』を見て

こんにちは、お久しぶりです、能登屋です。

ついついうっかりして丸3ヶ月も留守にしてしまいました。まだおみやげも終わりきってないので、これからしばらくはちょいちょい書いていければと思います。

さて今日はどうでもいいお話です。表題にある通り、公開中の映画『心が叫びたがってるんだ』を見ての感想です*1。ですので、本項目は基本的にすべてネタバレになり、未見の方で、ミステリーは解説から読むというタイプではない方はお読みにならない方が懸命かと思います。

 

 

では、『心が叫びたがってるんだ』*2

一体どんな映画なのか。主人公は高校生2年の成瀬順(水瀬いのり)、彼女は幼少期にふと放った言葉をきっかけに(とくに本人のせいではなく)、両親が離婚。自らを代弁するかのように現れた「玉子の妖精」によって「お喋りを封印」され、心を閉ざしてしまいます。そんな彼女でしたが、ある時担任(藤原啓治)の差金で「地域ふれあい交流会」の実行委員を任され、温和ながらどこか定まらない坂上拓実(内山昂輝)、故障に苦しむ野球部員の田崎大樹(細谷佳正)、チアリーダー部の優等生、仁藤菜月(雨宮天)の4人で、「ふれ交」の出し物を作り上げていくことになります。その出し物は、ミュージカル。言い出しっぺとなった順は行きがかり上主役を引き受けることになりますが、お喋りの出来ない彼女が、果たしてミュージカルを演じられるのか。バラバラな4人は無事「ふれ交」を成功へと導けるのか…!かいつまんで述べるとこういったところです。ごく薄っぺらく言えば「青春」もの。劇中劇になる自作のミュージカルが順の体験を元にした「青春の向こう脛」というタイトルからも、そういう「雰囲気」が感じられます。

 

 監督は『アイドルマスターXENOGLOSSIA』『とらドラ!』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』の長井龍雪、脚本は『花咲くいろは』『あの花』の岡田麿里。制作は『四月は君の嘘』『あの花』のA-1 Pictures。基本的には、『あの花』スタッフがベースで、舞台もおなじ埼玉県秩父市です。

 

個人的なCM等を見た前感想としては、『あの花』のスタッフであることを推していることから、「感動モノ」なのだろうなあというところで、それは見たあとも基本的にそうだと思っています。以下は駄文です。

 

まず、見て損は無いかなと感じました。ストーリーは綺麗にまとまって発端から収束へと向かっていき、映像も綺麗で丁寧です。武甲山の姿が凛々しく美しいものであったことが印象に残りましたし、鉄道・バス・自動車・街の小物にわたって注意が払われていました。秩父への旅情を喚起させるところはこの作品の優れた点であるでしょう。しかし、特筆すべきなのは音楽でしょう。坂上拓実というキャラクターがとくに生きました。当然ではありますが、この物語を成立せしめるのは彼の音楽的なセンスであったように思います。コアとなる2つの曲が1つにまとまるという展開にはすっかり関心し、エンディングでは確かにしみじみとした良さを感じました。

 

この映画を見るにいたった動機は、水瀬いのりという声優さんをここ1年ほど「推して」(熱心に応援して)いる後輩某鮭の「熱心な」ステルスマーケティングに喚起された結果と言えますが、彼が「true tearsが好きな人は見るといいと思う」(大意。まちがってたらすみません)といったことが気になったためです。今更ttの説明はしませんが、同作の構成は本作の脚本でもある岡田麿里さんでもあります。このため、私は今作を見るにあたって、ttのキャラクターとの対比をさせながら見ることになりました。ある意味では、正しくない見方です。そこを念頭に置きながら、気になった点を、キャラクターを中心に見て、幾つか。

 

 基本的にキャラクターが善人で、乗り越えるべき対象として立ち上がってくるキャラクターがあまり明確ではなかった。今作は青春感動モノである以上、必然的に男女関係の機微がもうひとつのテーマとして立ち上がってきますが、基本的に成瀬・坂上ではなく、仁藤・坂上を中心に展開されます。このため、ここが劇中で「焦点化」されます。ネタばらしをしてしまえば、仁藤・坂上は中学時代に、ごく短期間ながら「付き合っている」状態にあり、「なんとなく曖昧になった」状態で今にいたっている。この曖昧さを動かすべく駆け引きに出た仁藤(そしてその動きに真摯に対応せざるを得なくなった坂上)。このラインに対して、物語を展開させるのは成瀬・坂上のラインです。成瀬は坂上の力を、手を、音楽を、言葉を借りて少しずつ前に出ていく。成瀬の中で、坂上は「王子」になっていく。ここに至って、成瀬・坂上・仁藤は「三角関係」に至る。そんなものは最初から伏線貼りまくりどころか公式頁のイントロダクションにも書いてあるので、ここは完全にストーリーのベースになっているのですが、いまひとつ仁藤の「悪役」さが引き立たなかった*3。結果、物語の引っ掛かりとしては不十分な印象が残った。

 つぎに「悪役」のもう一人であり、物語冒頭最大の「悪役」である野球部の田崎。故障した野球部のエースで嫌々委員をさせられている、とくればもうそのやりきれなさ、いらだち、怒りから、自らを閉じてしまい、全体の秩序を破壊しようと奮闘するのですが、真摯な順の姿勢がそれをいとも簡単に開かせ、溶かす。「野球部らしい」単純さというのか、感動屋というのか、彼はあっさりと物語を展開させる側に回ります。なんだ、いいやつだったのか(いいやつなんだけど)。

 そして、順がお喋りのできない最大の要因を創りだした母。彼女が悪役であるのは、基本的に彼女個人的な事情で、割りとどうにもならない。母は娘が「声を出せない」「喋れない」「心を閉ざしている」のを、自らへの「当て付けだ」と解釈して娘に怒りを向ける。いいぞ、その調子だ。もっと乗り越えるべき大人としての強さと邪悪さを見せつけろ…!なんて思ったのですが、彼女の怒りにあまり共感できないし、合理的でもなかった。母が娘に抱く感情が、自覚的無自覚か、意識的無自覚か、そういう感じの曖昧なものであって、母自身の苦悩が娘の頑張りによって救済されるという側面が、謝罪や感謝で浄化されることなく、ただ涙を拭うのみであった。確かに、この後母娘の関係は改善され、娘は家庭で心を開くのだろうけれど、そのためにはおそらくもうひとつ乗り越えるべきものがあったろうと感じました。

 最後に、結果的に順は乃絵だったんだ…。と。坂上にとって、愛すべき、力を貸してあげるべき、応援してあげるべき、見守ってあげたい存在だったと知って、納得できるとともに、もったいなさを感じた。彼女の「問題点」は、「言葉を喋ることができない」(心を閉ざしてしまう)というところにあって、彼女に言葉を戻してあげた坂上は、乃絵に涙を戻した眞一郎とまるっきり重なるのだけれど、それにしては坂上自身が乗り越えていく課題が「両親の離婚」という点にとどまったのだ、というところで物足りなさを感じました。つまり、坂上・成瀬の2人が解決していく課題は、根源として近く、2人が合わさることで解決されることは「自明」になってしまう。逆にそれは、映画の2時間という枠の中でスムースに流す必要条件であったのだけれど、お互いに乗り越えていくべき課題が似たところにあって違うということ、お互いに影響しあうことで乗り越えていくことのほうが、キャラクター的にも物語の展開としても「個人的には」しっくり来るのかな、という感じがしました。

 

 すごく長く、いろいろな言及をして、「物足りない」というような表現もあったのですが、これだけの感想が書けるのだから、自分の中にはいろいろと思うところ、ハマるところがあって、やはり面白かったんだろうなあと思います。ごくごく普通に、スッと入っていく物語だったので、胃の腑に落ちるものを想像していたのとはちょっと違ったよ、ただそれだけ。最初から、わりと胃に優しい、心が温まる作品だ!と思って味わうと、風邪ぐらいは簡単に治ってしまうかもしれないな、そんな作品でした。

 

ではまたおみやげか、最近買った模型か、そういう話を次回。

 

 

 

 

*1:サークルの後輩が熱心に「布教」しているので、他の後輩と見に行きました。彼がいなければこの作品を素通りしていたでしょう。記して御礼申し上げます

*2:

映画『心が叫びたがってるんだ。』

*3:ttでは幼なじみで誰よりも眞一郎の近くにいて、お互いに「気になっている」にも関わらず一向に前に出ず斜めに構えていたヒロインの比呂美が、仁藤のポジションにあると思いましたが、比呂美はよほど思わせぶりで自らを閉じていた