能登屋備忘録:台湾生活日記

能登屋の日常を淡々と描く作品です。

聞き流すだけで「日常系」が覚えられるようになる「スピード日常系」を作れないものか。

今日は「おみやげ」シリーズをおやすみして*1私の個人的な「日常」の思いつきを書きます。

 

ファキンホットな今日この頃ですが、ここ連日外に出、茹で上がる思いをしつつ「チンカチンカのルービー」で身体を冷やしています。今日も今日とて、旧友であるレテ(id:lethe2211)氏と一杯引っ掛けつつだらだらしゃべくっておりました。その際、アニメの話題になりました。私は一時アニメというのをあまり見なくなってしまったのですが*2、最近はまたちょいちょい見ています。その中で「日常系」*3という作品群についての話が出ました。近作だと「のんのんびよりリピート」や「がっこうぐらし!」「ハローきんいろモザイク」などが該当するでしょう。

私はかねてから、この「日常系」と呼ばれるアニメになぜか苦手意識を持っていました。「日常系」は、「あずまんが大王*4を端緒として、「らき☆すた」や「けいおん!」などをその代表とし、2000年代中後半から2010年代前半までのこの10年間ですさまじい拡張を見せてきました。私もその作品を逐一追っていたわけではないのですが、アニメから少し離れてしまう前まではあまり違和感なく視聴していました。しかし、最近離れていた時期に録り貯めていた「日常系」作品を見返していると、なんとも言えない心地がしました。物足りなさというと語弊がありますが、落ち着かなさが。

ははあ、これが老化なのだな*5。などと思っていましたが、今日のレテ氏との会話の中で、これが必ずしも正しくないということに気が付きました。師は「日常系とは、少し疲労した後に見るのがいいんだ。働いたあとなどに」と言い、「まとめて見るからダメなんだ」と諭しました。

確かに、wikipediaにも、「日常系」の特質として、「物語性の排除・萌え系の美少女に絞ったキャラクター配置・虚構への現実の混入」をあげており、この「物語性の排除」が「違和感」の根本的な原因であったように思えます。有り体に言えばキャラクターの「目的意識」の欠如が、大きな物語を喪失させ、シリーズ全体の「緩急」が十分に感じられない(それが「日常系」の良さですが)ために、初見で長時間連続して見続けるには「私の」集中力が持たない、という事象であったように思えました。思い直して一話一話を見つめ直せば、凝縮された「日常的」な会話風景ややりとりが細かく感じることが出来ますが、マラソン的な視聴ではその息遣いが十分には体感できなかったのでしょう(私には)。

というわけで、私の「苦手意識」の根本は、その視聴方法に問題があり、「日常系」の醍醐味をスルーしているところにあることが理解出来ました。以降は、一話一話を丁寧に、ある程度落ち着ける環境で身体を楽にして「日常系」に取り組んでいきたいと思います*6

 

他愛もない話でしたが、次回はまた「みやげ」です。

 

 

*1:近日予定として、おみやげの歴史・おみやげと観光地・おみやげと「パクリ」などが予定されています

*2:「仕事」が立てこんでくるとなぜか見られなくなる

*3:今回はロクな参考文献を引いていないので問題がありますが、みんな大好きwikipediaを見ると、空気系という項目に「主にゼロ年代以降の日本のオタク系コンテンツにおいてみられる、美少女キャラクターのたわいもない会話や日常生活を延々と描くことを主眼とした作品群。日常系ともいう」との記述がありました。ありがとうwiki。だが金はやらんぞ

*4:ニコニコ大百科参照

*5:声優が若返っていて声が覚えられないとかそういう本格的老化現象なのかとも思った

*6:これまでも苦手意識はあるけれども決して嫌いなわけではなかった